ヨーガの実践」カテゴリーアーカイブ

『マハーヨーギーの真理のことば』第一章「愚痴は心を汚す」

ヨーガを学ぶ前までは愚痴を言う行為に何の違和感もなく、むしろ愚痴を吐き出してストレスを発散し、その方が気分が軽くなり日常が上手くいっていると思っていました。
ヨーガを学び始めてからこの行為は新たなカルマを生むことを知ってからは、愚痴は言わない、言いたく無いと思うようになり、できるだけそれが寄ってきそうな場を避けていました。

しかしある日、私は気心知れた友人と話している時に、少しクセのある人に対する愚痴をこぼしていることに気づきました。
その友人は、よっぽど大変だったんだねと、同情するように聞いてくれました。
ところが私の心は、聞いてもらってすっきりしたとか、気分が軽くなったという感じは無く、愚痴を言ってしまったという後悔が心に残ってしまいました。

その日、『マハーヨーギーの真理のことば』を開くと、「愚痴は心を汚す」という教えが目に入ってきました。

愚痴を言うことでストレスが発散できていると思っているのは大きな錯覚です。そうではない。そういう習慣を付けることで、心はそれに染められてしまっているわけです。だからそれが癖付けられたら、しょっちゅう愚痴を言おうと心が思ってしまう。心そのものが愚痴で汚れてしまう。心の内容そのものが愚痴になってしまっている。でもそんなことを理屈で言っても、なかなか頭の理解では心は変わらないからね。心を変えようと思えば、呼吸を変えないといけない。呼吸を変えるためには、体をアーサナによって調えていくのがやりやすい。

『マハーヨーギーの真理のことば』第一章 67頁

私はいつもこの友人の前では甘えが生じて、しょっちゅう愚痴を言おうとしている心の動きが見えました。
自分の心だけではなく、愚痴を言うことで相手の心まで汚してしまっていることに気づき、その日せっかく会えた友人や愚痴を言ってしまった人に申し訳ない気持ちになり、反省しました。

頭では愚痴を言ってはいけないと分かっていても、心はある一定の条件が揃えば元の習慣に戻ろうとします。
注意深く心を観察し、踏み止まるには、日頃行なっているアーサナの力と呼吸、聖典を読むことで調えられ、心そのものが変わるのだと信じています。

口から出る言葉は真実だけを語り、真実だけに染められたい。
愚痴など寄せ付けないぐらいの情熱をもってヨギさんが導いてくださったヨーガの道を歩んでいきたいです。

玉井眸


ブジャンガ・アーサナで心身を目覚めさせる

今年は巳年。 

ブジャンガ・アーサナ=コブラの形は、ヘビを模したポーズで、鎌首をもたげるヘビのように、うつ伏せの状態から上半身を反らせて形を作ります。

 MYMのクラスに通い始めた頃、私は首を痛めており、背骨を反らせると腕に痺れが出て、息を吐くのも吸うのも苦しく、ブジャンガ・アーサナに苦手意識を持っていました。 
クラスでは、手の動かし方、手をつく位置、視線の動かし方など、一つ一つの動作を細かく教わり、焦らず丁寧に背骨を一節ずつ反らせていくように、とアドバイスを頂きました。 
できる範囲で続けるうちに、背骨を反らせても痺れが起きることはなくなり、息をしっかりと吐き切れるようになりました。形を保持するのは楽ではなかったけれど、ブジャンガ・アーサナを行うと身体がシャキッとする感じがして、アーサナをするのが楽しくなっていきました。 
昨年から始まった、パラマハンサ会員対象の講座、「アーサナの秘義」の中で、ブジャンガ・アーサナは心身を目覚めさせるというお話を聞いて、まさにそうだ!と思いました。 
 

東京・国分寺クラスでは、定期的にブジャンガ・アーサナの作り方を細かくお伝えしていますが、説明なしで行う時よりも皆さんの集中感がぐっと増すように感じます。 

先日の今年最初のクラスでも、今一度作り方を説明してからブジャンガ・アーサナをやってもらいました。皆さん一つ一つの動作を丁寧に行っていて、いつも以上に保持時間を長めにしても、最後まで集中力を保たれていました。終わった後のシャヴァ・アーサナはとてもリラックスされて、皆さんのプラーナ(気)が調い、充実しているように感じました。 

講座「アーサナの秘義」で、繰り返し教えてくださっていることがあります。 
 
時間は連続しているようだが、私たちは刹那を生きている。過去のことを悔やむ、未来を憂うのは、今という瞬間を生きていないから。 

心の様子や体の状態は時間の経過と共に変化するもの。それに囚われず淡々と集中して実践していく一つのアーサナでもいい、常に新鮮な気持ちでアーサナと向き合っていくことがとても大切。 

そうすることで、アーサナ中の一呼吸一呼吸の中に生きていけるということを、心身に覚えこませている感じになる。 

それこそが「今を生きる!」ということになり、今・今・今・・・の連続が未来を作っていく。

今年はこれまで以上に真剣にアーサナを実践していきます。
特にこのブジャンガ・アーサナをしっかり行って心身を目覚めさせ、今この瞬間を大切に生きることができるようになりたいです。

ハルシャニー  

 


2024年 アーシュラマのお掃除&振り返り

2024年も残すところ数日となりましたね。
皆さま、年の瀬をいかがお過ごしでしょうか?

先日は、師シュリー・マハーヨーギーの生家であり、私たちマハーヨーギー・ミッションの拠点でもあるマハーヨーギー・アーシュラマの掃除をさせていただきました。
8人のグルバイ(仲間)で表の格子を外して掃除を行ない、きれいになったピカピカのガラス戸を見てとても清々しい気持ちになりました✨
後で気付いたのですが、掃除の最中、身心は快活で寒さや重さを感じていなかったなと思い、比較的暖かい日中だったとはいえ、「寒い日でも動くっていいな〜」と感じられた年末のお掃除でした。


さて、2024年の私の目標は「サナータナ・ダルマ(永遠の真理)の樹立」でした。
壮大なテーマでしたが、私は春・秋にこのマハーヨーギー・アーシュラマでのワークショップや、京都・大阪での瞑想入門のクラスを担当させていただき、僅かながらサナータナ・ダルマの樹立に向かって前進することができ、自らもダルマ(真理)で満たされていく感覚がありました。
私自身、ヨーガの活動の楽しさや歓びを感じた1年であり、それはクラスなどの表に出る活動だけではなく、掃除もそうですし、さまざまな集いやミーティングも増えてヨーガの交流が活発になり、改めて目覚め・芽吹きの1年だったように感じました。

そして2024年は、マハーヨーギー・アーシュラマの開設48周年でした。
当時ヨーガがほとんど知られていない1976年に師がお一人で伝道を始められ、その地道な活動を礎(いしずえ)に、その後弟子たちが外でクラスを展開して今に至ります。
マハーヨーギー・ミッションは継続してずっとヨーガ(真理)を伝える活動をしていますし、来年はもっと活動をしていく年になっていくと思います!!
私自身もよりアクティヴに行動していきたいと思っています!!

最後になりましたが、今年もブログ「ヨーガを生きる」をお読みいただき、まことにありがとうございました。
来年はミッション活動をはじめ、師が体得し継承されたアーサナの弟子の実践談、またサナータナ・ダルマの樹立に生涯を捧げたスワーミー・ヴィヴェーカーナンダについてのブログを積極的に掲載していきたいと思っています。

では皆さま、どうぞよいお年をお迎えください😇🙏

ゴーパーラ


『マハーヨーギーの真理のことば』第一章 生きる秘訣

師シュリー・マハーヨーギーと出会って、私は生きることがとても楽になりました。
師は「生きる秘訣」を教えてくださいます。

生きていると様々な人に出会いますが、もし気の合わない人や嫌いな人がいたら、どう接しますか?
できるだけ関わらない(冷たい態度)、嫌いな点を指摘する、悪口を言う、良い所を探す、嫌いな人ほど優しくするetc
いろんな接し方や処世術があるかもしれませんが、師は秘訣として「無視すること」を教えます。
それは単に相手を無視することではなく、「相手の表面性や自らの思いを無視して、本質だけを見る」ということを説かれます。

私の秘訣はね、そういうものに取り合わないこと。無視する。気の合わない人だけを無視するのではなくて、気の合う人があったとしても無視する。両方を無視する。つまり表面的なカルマみたいな心の様子というものは気にしないこと。それでいて、どのような人であってもその本質は不異(おなじ)であるというーー魂とか本体は同じ、違いはない。違うのはその魂を包んでいるような心、これがただみんな色合いが違うだけだということを知っているから、疲れない。だからどのような人であっても、気が合うとか合わないとかいうことを感じたとしても、そのことを忘れるようにして、その人の本質だけを見るようにして接すればいいと思う。

『マハーヨーギーの真理のことば』第一章 P 51

私自身、この教えを知ってすぐに目から鱗が落ちたかと言えば、そうではありませんでした。
生きていく中で、ちょっとした誤解や嫌悪感からいざこざになり、もうこの人はあかん、合わない、嫌いだと思うことが何度かありました。
でも多くの方たちはそんな後でも、あとぐされなく私に接してくれて、私自身すごく救われた感覚が何度もありました。
そういった経験をする中で、師の教え–––決め付けや一時の好き嫌いの感情に執らわれない、つまりそれらを無視して本質だけを見ていくことが自分にとっても相手にとっても、さらには周囲の人にとっても平安や調和がもたらされると感じるようになっていきました。

好きも嫌いも、過去の未練も未来の不安も、二元的なことは全て忘れて、誰もの中に在る一なる尊い本質だけを見て、師のように強く凛として生きていきたいと願います。

ゴーパーラ


『Paramahamsa』表紙絵シリーズ⑫

インドの細密画に近いイメージでずっと描いてきた中で、日本画のようなヨギさんを描いてみたい、そう思って描いたうちの1つが今回ご紹介する『Paramahamsa』No.35の表紙絵です。

ヨギさんはインドのものだけではなく、日本や欧州の美術・デザインにも造詣が深くあられました。ヨギさんからはたくさんの方のお名前をお聞きしたように思います。そして、思いついたことなど、何を質問してもお答えいただけるのがいつも驚きでした。

その当時、私はヨギさんに図書館で美術書をよくご覧になっていたとお聞きしたことがあったと記憶していました。
そこで改めてシャーンティマイーさんにお聞きしてみると、図書館から白隠禅師や俵屋宗達、またその他、多くの巨匠の美術書をシャーンティマイーさんがよく借りてきていたそうなのです。ヨギさんはそれをご覧になっていたのですね。
そして、ヨギさんがおっしゃったことを教えていただきました。
本屋に行けば手軽に買える絵画のペーパーブックもあるけれど、そのようなものは色も出ていないし、安易に買ってはダメ。でも美術書なら色目もしっかりと表されている。本物を見ないとダメ。そう教えていただいたそうで、図書館から借りてくるという流れになったということでした。また展覧会などには、お母様とよく足を運び、度々本物に触れて来られたそうです。

これまで、ヨギさんが何かを選ばれるものを数少ないながらも見せていただいて、本当に良いものをご存知だからこそ、いろんなもので埋もれている中から、本物を見つけることができるんだと思ったことがありました。何事もあまり深く物事を探究せず、本物に触れることが少なかった私でも分かるくらい、ヨギさんの物を見る目は特別に感じられました。

私が描いたものは日本画というには申し訳ないほど、程遠いものではありますが、新たなヨギさんに触れていただけたら嬉しいです。

そして、今週土曜日、23日はいよいよ師の御聖誕祭です。きっと多くの人が心待ちにされていることでしょう。当日に参加できる方も、できない方もいらっしゃいますが、ヨギさんへのみんなの愛がいっぱい詰まった祝祭になりそうな予感。とても楽しみです!

シャチー


呼吸が変われば生き方が変わる ~師から授かったアーサナ~

木々が少しずつ色付き始めていますね。太陽の光でキラキラしている赤い葉や黄色の葉、常緑の濃い緑色、いろんな色の葉っぱがふわ~っと揺れているのを見ると、全身に気が駆け巡るような歓びがこみ上げます。ポツポツ雨が降り始めると、水がこの世界を潤し、世界も自分も清められていく静かな気持ちになります。

そんなふうに感じるようになったのは、アーサナをしてきたことが関係しているように思います。アーサナは、瞑想するための身体の基礎をつくってくれるもので、その身体の源でもある呼吸を変化させると師から学んできました。その呼吸の変化は、自分の体と心をまるごと変えてくれます。ヨーガを知る前は、自分の呼吸について意識をしたこともなく、ヨーガを始めた動機も呼吸には特に関係ありませんでした。でも、今になって動機を振り返ると、実は「呼吸」が重要だったんだ・・・と実感します。

オレンジのマリーゴールド

近くの花壇のマリーゴールド。

20代半ばで師に初めてお会いし、人生の悩みをお伝えした日、師はヨーガの考え方をとっても簡単な言葉でたくさん教えてくださり、毎日アーサナを続けていけばいいよ、そうすれば自然に呼吸が変わって、そして心も落ち着く、そしていらないものは自然と剥がれ落ちていくから、ということを言ってくださいました。

師の雰囲気があまりにも静かで優しく、それでいて快活でユーモアに溢れていて、無垢な方で、一瞬で大好きになってしまい、アーサナを続ければこんなふうになれるのかな~と憧れました。クラス指導者の先輩たちも師と同じ雰囲気で、やっぱりヨーガを続けていけばこういうふうに私もなれるんだ~と思いました。人の雰囲気とか、佇まいとかの見えない空気感を形作っているものは、「気」や「呼吸」が関係していると感じています。

当時ヨーガを始めた動機の一つでもあった自分の悩みの原因は、外の環境にあると思っていましたが、ヨーガを学ぶにつれ原因は外ではなくて私の心、私の受け取り方にある、と客観的にとらえられていきました。だったら、心を変えよう!と決意するものの何度も知らないうちに同じ思い方をしてしまっていました。その同じ状態のままの心を使って自分で自分の心を変えることは割と難しく、意志の力だけではどうしようもない思考の癖や心の傾向みたいなものが邪魔をしてきて、私は私の思考から逃れることはできない・・・と堂々巡りの心と格闘することも多くありました。

しかしそんな時こそ毎日のアーサナに助けられました。アーサナには、自分の心と格闘せずに、それらは少し保留にしたままで、心を動かしている「気」を制御していくことで、心や考え方そのものを変えてしまう偉大な力がありました。アーサナを真剣にただ毎日続けることで自動的に呼吸が変化していくのです。呼吸が変わったことで心の癖や傾向も薄らいでいきました。アーサナクラスに通いながら家でアーサナをする日々の中で、荷物を下ろしていくように身軽になっていきました。

そしてヨーガを学び数年経った頃、どうすればもっともっと自分の憧れの状態に近づくのかと悩んでいたことがあり、その時に、呼吸に懸けようと決めて、アーサナクラスに週1回通うのは既に習慣でしたが、それ以上に通いつめ、家での毎日のアーサナも、より真剣に特に吐く息に意識を置くことを一定期間続けました。すると、停滞感や焦りはいつの間にか消えてゆき、その代わりに強い意志と入れ替わっていました。憧れの境地へたどり着くには一生かかるかもしれないけど、でもヨーガが好きだからあきらめないでずっとやっていこう!と。アーサナでひたすら吐く息に集中していったその経験は、自分の心を内奥から変え、たくさんの贈り物を与えてくれました。

師のアーサナを正しく続けると、呼吸が自然に変わります。今、生きているということは、呼吸をしている、ということでもあるので、その呼吸が変われば、生き方が変わることになります。心を変えるためには呼吸を変えるのが一番早道だと学んできました。

師は、正しいアーサナの復活もご自身の使命だとおっしゃっていました。師から教わり授かったアーサナを大切に守り伝承していくことは、自分たちの責任と使命でもあると感じています。そのためにもアーサナは怠らずに、これからも真剣に学び実践していきたいです。

プラーナ(気)が調うことで体感が変わり、見ている世界や感じる世界、そして生き方が変わりました。師と初めてお会いした日、師が私に言ってくださったように、誰でもアーサナを正しく真剣に行なえば、自分の中のいらないものは勝手に剥がれ落ちていくと思います。

ただ葉っぱが風に揺れているだけで、こんなにも嬉しく感動して愛おしいと思える心になったこと、かけがえのない師に感謝します。アーサナがもたらしてくれる素晴らしさを、一人でも多くの人と分かち合っていきたいです。

おにクル前の白い花

茨木市クラス会場、おにクル前の道の可愛い花。


~お知らせ~

11月9日(土)茨木市「おにクル」でヨーガ的 1から4の呼吸を知って、心を静め全集中を身に付けよう!という、まさに呼吸を変える1歩となる無料ワークショップもありますので、
ぜひ人生を変えるきっかけの1歩を体験しに来てください♪
⭐️ワークショップ体験後にクラス予約された方は、次回クラス受講料が 通常1500円のところ1000円で受講できます。

ナリニー


『マハーヨーギーの真理のことば』〜弱音を吐いてはいけない  

2022年の11月に新刊『マハーヨーギーの真理のことば』の目次がアップされました。
嬉しくて何度も目次を読み返しました。すると目次を読んだだけなのに、心が強くなる感覚がありました。そのように感じた項目のひとつが「弱音を吐いてはいけない」です。

家族がいる環境の中でヨーガの実践の難しさを訴えた修行者に対して、師は次のように答えられました。

真剣に求めているならば、絶対に弱音を吐いてはいけない。どんな事柄、状況に対しても弱音を吐いてはいけない。状況がどうであれ、そんなことには関係がないと、義務は義務として果たしておく。だけど二十四時間義務が付いて回っているということはないと思うし、義務を離れた時には、真実だけを求めて、他のことには一切無関心になること。その強さは必要。絶対に言い訳はしてはいけない。

――第八章222ページ

ここを読むたびに鼓舞された私は、この実践を徹底的にやっていこう!と心に決めました。
私は仕事(ヨーガのワークス)や家庭における場面で心が動きそうになると、瞬時に師が「絶対に弱音を吐いてはいけない。絶対に言い訳をしてはいけない」と仰っている想像をして、心の中で師の教えに必死でしがみつき、弱音が出てくる前に吹き飛ばす練習をしています。
もう一方で心身が疲れてくると弱音が出そうになるので、思いっきりアホになって「私は今起きたばかり!」とエネルギーに満ち溢れた感覚を思い出し、余計なことは考えないで最後までやり遂げることを心掛けています。以前は「今日はあれもこれもしないといけない」と考えるだけで心が疲れていたのですが、「今起きた!」と強く思うことで過去や未来を気にすることなく目の前のことだけに向き合う力が湧いてきます。
このような訓練によって心が強くなり、やるべきこととやりたいことが一致して、心が満ち足りた状態になっていくのです。

徹底して実践し、弱音に対して毅然として、最高の歓びに向かって突き進んでいきたいです!

アーナンディー


『Paramahamsa』表紙絵シリーズ ⑪

今回は、『Paramahamsa』No.88の表紙絵と絵にまつわるお話をご紹介します。

「ラーサ・リーラー」

秋のジャスミンの花開く、いとも優しい月が昇った時、その夜が来たのを見たシュリー・クリシュナは、ゴーピー(牧女)たちとの約束通り、一緒に踊って楽しもうと思いました。
彼は甘美な笛の音を奏でつつヴリンダーヴァンの森へと向かいます。その歌を聞いたゴーピーたちは上の空となり、家族も仕事も忘れて家を抜け出し、彼の下に駆け出します。外出できず、家の中にいるゴーピーたちはシュリー・クリシュナを心に思い、目を閉じて彼の瞑想にふけりました。森の奥で蒼い肌に月光を浴びて笛を吹く、シュリー・クリシュナの姿に息をのんで見とれている彼女たちを、シュリー・クリシュナはヤムナー川の岸へと誘います。

彼が最愛のゴーピーと踊り始めると、二人を囲んだゴーピーたちは愛と情熱に身を任せて、慎みを忘れて歌い踊ります。踊りの輪の素晴らしさは月よりも輝き、辺りにはかぐわしい空気が漂うほど。踊りがクライマックスに達すると、シュリー・クリシュナは同時にたくさんの姿を現して、ゴーピーたちの一人一人が自分と踊っているように信じさせるのです。
こうして長い夜を歌い踊り続け、恍惚の中に過ごしていると、神々さえもこのありさまを見ようと天空に出現し、散華を行なうのでした。                            

『バーガヴァタ・プラーナ』より

ラーサ・リーラーを題材とした細密画は多く描かれています。それらを見て、私もクリシュナとゴーピーたちが踊る姿を描いてみたいと思いました。
絵が出来上がった時、ヨギさんはとても喜んでくださいました。
けれどその後、どのくらい経った頃だったでしょうか。
この絵を再びご覧になったヨギさんは、ゴーピーの2人が着用している紫色のサリーがオレンジだったらもっと良かったと話されたのです。

ヨギさんがオレンジの衣を着用されるようになってから、私たちもオレンジ色のものを身に付けるようになり、今ではまるでMYMのイメージカラーのようになっているこの色。
サリーを着ている人を描く時には、大抵はオレンジ色にするのですが、今回は見た目に変化をつけた方がいいかなと思い、紫色を入れて描きました。
でもヨギさんに言っていただいて、紫のサリーの部分を指で隠してみると、ヨギさんはただオレンジに揃えた方が良いと言われたのではないということが分かりました。
そこには、なんとも円満な姿が現れたからです。
計らいがないところに調和は生まれるものだと学ばせていただいた出来事でした。

シャチー


ヨーガの魅力――松山市のヨーガ・サーラ・スタジオから

ヨーガ・サーラ・スタジオは今、熱心に定期的にクラスに来られる方が増えています。その方たちは、いったいヨーガの何に惹きつけられているのでしょうか?


この春からヨーガを始めたAさんは「自分のこだわりをなくしたい」と毎週熱心に通い続け、今の心境を教えてくださいました。
「私にとってここに来ることが心の拠り所になっています。ヨーガは気持ちの安定になっていると思います。それは強い味方です」

また、数年ぶりにクラスに来てくださり、今は定期的に参加しているBさんは以下のメッセージをくださいました。
「レッスンが終わった後はいつも心が浄化され、穏やかな気持ちを取り戻すことができました。他にも身体的な変化として、レッスン後、教室を出て駐車場まで歩く間に、フラフラせずにまっすぐ歩けていることや、歯の噛み合わせが変わっていることなども感じるようになりました。内面や外見にも良い変化が現れているので、今後も無理なく継続していきたいと思っています」

他にも熱心な皆さんの声が届いています。
「家族に優しくできるようになった」
「人の評価が前よりも気にならなくなった」
「瞑想の時、平安を感じられるようになった」


クラス参加者のみなさんの変化から、私はやっぱり「ヨーガってすごい!」と今も新鮮な驚きと共に、ヨーガの魅力を1人でも多くの方にお届けしたいと思っています。
私自身のお話をさせていただくと、私はヨーガの師に出会ったその日から、ヨーガに魅了され続けています。師に初めてお会いした時、私は人間関係の悩みについて質問しました。師はとっても優しく次のことを教えてくださいました。

「すべては尊い存在です。人や物に対して優しく接するよう努めてください」
「日常にこそヨーガの成果が表れます」

それまでの私は、嫌な気持ちになった時は相手や状況が悪いのであって、私は何も悪くない、と知らず知らずのうちに自分だけを大切にしてきました。しかし、「すべては尊い存在」と教わった日から、自分は間違っていたことに気付かされ、心から反省して態度を改めていくと、目に見えて人間関係が改善していきました。そうやって心が楽になって初めて、自分で自分を苦しめていたことに気が付かされ、私は単純に「生きるってこんなにも楽しいことだったんだ! ヨーガってすごい!」と興奮しました。
後で分かったのですが、もしも誰かのことを悪く思ったり、悪口を言ったりすると、嫌な思いが自分に返ってきて心がダメージを受けて苦しくなります。逆に、誰に対してもいつも優しい気持ちで優しい言葉をかけ、優しく接することで、良い思いが自分に返ってきて、常に穏やかで心地いい状態に満たされていきます。当たり前のことかもしれませんが、それが分からず苦しんでいたのです。
その後、1人でも多くの方とヨーガの素晴らしさを分かち合いたいという思いが抑えきれなくなって、今に至ります。

ヨーガは身体の柔軟性を競ったりするものではなく、心を穏やかに保ち、他者との調和をもたらす素晴らしいものです。ヨーガを続けていくことで、「自分ってこんな人」という思い込みがなくなり、新たな自分に出会えます。なんだかわくわくしませんか?

アーナンディー


瞑想入門「ブッダ–真理–を探せ」を受講して

今夏、7月11日より大阪・京都で開講された瞑想入門「ブッダ−真理−を探せ」を私は受講しています。
このクラスでは講師のゴーパーラさんがブッダの教えを誰にでも分かりやすく、またブッダとはどのようなお人であったのか、ブッダの存在に迫っていけるようにご自身の実践談も交えながらお話されています。
現代に生きる私たちであっても、ブッダの存在とその教えに親しみを感じながら人生をより良く生きることができる実践方法をレクチャーしていただけるので、楽しみながら学んでいます♫

講師のゴーパーラさん。ヨーガ・瞑想をして15年ほどだそうです。

私は学生時代にブッダの存在と教えに出会う機会が少しありましたが、その当時はブッダに心を惹かれることや深く学ぶことはありませんでした。ブッダについては「悟りを啓いたお方」「仏様」……という何となく雲の上の存在で漠然とした印象でした。
「悟り」という言葉に対しても何だかよく分からないし自分とは無縁であるかのように思っていました。それから月日が流れ、私はヨーガに出会って再びブッダの存在と教えを知る機会が訪れました。

この講座の中で教えていただいた「諸行無常」というブッダの教えがあります。この教えの意味するところは「すべての現象は変化して永遠ではない」ということです。すべての現象とは今私たちが生きている世界やその出来事を指しています。それらは常に変わっていき、永遠ではなく、生まれては消え、また生まれては消える−−「すべては変わっていく」とブッダは説かれています。
この教えにおいて、ブッダの生涯のエピソードでよく知られている「四門出遊」があります。ブッダはそこで人間の苦しみである「老・病・死」に遭遇します。ある時は年老いた老人、ある時は病を患う病人、またある時は死人と出会い、これらの老・病・死という逃れられない苦しみを目の当たりにしたブッダは「諸行無常」を感じ得たのです。

ブッダがこの時に感じた心境、諸行無常の教えについてクラスの中で瞑想を行ないました。瞑想を始める前に講師のゴーパーラさんが瞑想する時のポイントについて『大切なことは”感じる″こと』と教えてくださりました。私もブッダの存在を感じていくように瞑想に座りました。その中で感じ受けたものはブッダのお人柄でした。
ブッダは一王国の王子として生まれ、お城暮らしで何不自由なく快適な生活を送り、この世の苦しみを知らずに育ちました。そんな生い立ちでありながら苦しむ人たちの姿を見て、また生まれも育ちも身分も自分とは全く異なる人たちを目にして、ブッダは自分は決して特別な存在ではなく、この苦しむ人たちと同じ命を持った存在なんだと心に感じたのです。そんなブッダの感じる心の豊さや受け止める心の柔軟さ、他人の痛みに寄り添うような心の温かさと優しさを私はブッダから感じました。

そして諸行無常という教えは、私の生活においても日常的に起こり経験していることだと思いました。日々起こる出来事は時間の経過とともに変化しています。1日の仕事をしている時間、休日の時間、家族と過ごす時間など、その時々によって起こる出来事や時間の流れも同じではありません。それは穏やかに流れる時もあれば目まぐるしく流れる時もあります。私を取り巻く状況はいつも変わっているんだと思わされるのと同時に、この体や心の状態も変化していて全く同じ日はないなと感じさせられます。そう思うとブッダの説かれた諸行無常の教えが私たちの生活にも身近なものであると感じられます。

講座の最後では日常における実践方法を学びました。生きていると様々な問題に直面することがあります。良くも悪くも変化する環境や、またこの世界に生きる人たちも色んな心の性質を持った人がいます。その中においても環境や相手が問題なのではなくて、「自分がどうあるべきか、どう生きたいか」が大事であると教えていただきました。
ゴーパーラさんご自身も身近な人との関わりの中で、声をかけても挨拶を返してくださらない相手に対して、変わらずに挨拶だけはきちんとしようと思われ、笑顔で接し続けられました。そうすることで次第にその相手の方の反応も変わっていき、少しずつ挨拶を返してくださるようになり、その方との関係性に調和が生まれるようになったという体験談をお話されました。
きっとブッダご自身も同じように変わっていく世界の現象に執らわれず自分自身の心を見つめていかれて、自身の心の問題や苦しみを取り除かれたのだと思いました。

「諸行無常」−−すべては変わっていく。だからと言って、この人生を悲観的に捉えるのではなくて、限りある命だからこそ大切に生きる。自分自身をより良く磨いていくという、とってもポジティブに生きる道をブッダは私たちに説いてくださっているのだと私は感じました。

金森淳哉

 


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8月20日まで第1回目「すべては変わっていく」を動画受講できます。
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直近の実開催は、8月22日<大阪>・8月24日<京都>となっています。
テーマは「理想について瞑想する!」です。
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少しでもご興味・ご関心があれば、お気軽にお問い合わせください😇