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さまらさの精神を学ぶ・オンラインクラス台湾を通して

昨年の秋、台湾から1通のメールを受け取った。

「台湾のみんなは”さまらさ”に興味があります。以前先輩たちから、台湾の食文化に沿った”さまらさ”をしたら良いとアドバイスをいただきました。そこで、”さまらさ”の精神を学びたいです! 感謝の気持ちで食材をいただくとか、旬の食材を選ぶとか、調味料を入れすぎず食材の元の味を味わうなどなど、その精神を学んだら、どこでも応用できますよね!」

読んだ瞬間、胸が高鳴った。文化や風習は異なっても、ヨーガの食の教え「さまらさ」の精神を知ることで、その地域らしさを生かしたヨーガの食事を学べる。台湾の皆さんと一緒に、その始まりを体感したいと思った。

そこで、前後編の2回の講座形式のオンラインクラスを翌春に開催することが決定し、準備がスタートした。互いの母語が異なるため、通訳と翻訳、資料作成を台湾のグルバイにお願いしたが、いずれの作業も大変さは計り知れず、特に翻訳は時間がかかる。にもかかわらず、幾つもの作業を快く引き受けて粛々と進めてくださり、その仕事ぶりに学ばせていただいた。頭が下がり、姿勢が正された。

春―3月と4月、「さまらさの精神を学ぶ・オンラインクラスー台湾―」開講。

                                  マードゥリーとサラニーが担当

各回15名ほどの方が出席され、みなさんが熱心に耳を傾け、たくさんの質問をされた。画面越しに伝わってくる溌剌(はつらつ)とした空気、表情豊かな同時通訳に引き込まれ、2回のクラスはあっという間に終了した。基本の教えをお伝えするだけで精一杯であったが、師の教えを共に学ぶ、新鮮な歓びに満たされた。そしてクラスの終了後にいただいた感想を拝見し、しっかりとさまらさの精神が綴られていて感動した。御許可をいただきその一部をご紹介します。

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最初は、キッチンに行かないで、料理をどのように学ぶのかと思いましたが、調理法より大事なヨーガの食事の精神を教えてくれるんだと分かりました。体は悟りへ向かうための乗り物で、新鮮で清らかな食物を取ることによって食物からエネルギーを得て、自然と一緒に生きる喜びを感じられる、などのヨーガの教えを学びました。講座を終えた今は、どのように食物を選ぶかをもっと意識して、舌と心の関係にも気を付け、知足と感謝を学んでいます。さまらさのことを実践するようになって、体は本当により軽くなり、喜びが溢れるように感じます。講座をしてくださる先輩たちにとても感謝します。より多くの人がさまらさを学んで、一緒に実践できるように願っています。

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さまらさ講座の内容は予想以上でした。深い教えを分かりやすく説明していただき、少しずつ理解できるようになりました。食事がどのように外側から内側に影響を与えていくかということ、食事が調えられれば生活も調えられることなどを学び、食事の大切さを深く感じました。
「心に従って食べるのではなく、旬の食材をいただく」という教えは、新たな気づきを与えてくれました。何を食べたらいいか分からない時、心の癖に従ってしまうことがよくあるので、どのように食事を選ぶのかを学べてよかったです。
すごいなぁと思ったのは、素材の気持ちになることです。初めて聞きました。それを知って、また少しグルの万物への優しい気持ちを知るようになった気がします。講座のどの内容も素晴らしかったです。すごく勉強になりました。料理することがより楽しく感じるようになりました。

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ある時、師がおっしゃったことを思い出した。
「世の中には食事の情報が溢れている。テレビをつけたらグルメの話ばっかりやろ。
その中で、さまらさの食事の考え方は他のどこにもない。たくさんの人に伝えていってほしい」

師と先輩方が、現代に生きる人々が日常の中でのヨーガを進めやすいように、食を入り口とした「さまらさ」という門を開いてくださった。ヨーガは実践あるのみ、そして、その奥にはいつも愛がある。現代も未来も、そしてどこにいても 誰もが、純粋な喜びの内にヨーガを知り、進んでいけますように!

▪️前編(3/16開講):なぜ私たちは食事を取るのか?「五蔵説」を通した身体の構造、食物の持つ性質、自然の道理―「旬」の食材を取ることが人間の体にとっていちばん適合性が良いことを学ぶ。

図「良質の食事とは」―翻訳、イラスト、デザイン:マハーヨーギー・ミッション 台湾

▪️後編(4/20開講): 舌と心には相関作用があり、食事を調えることは、思いと行為をも制御していく力を身に付けていくことになる。ヨーガの修行においては、日常生活のあらゆる場面で心の執着を客観的に見つめ直し、依存関係を断ち切っていくことが必要でそれはヨーガの目的である「何ものにも依存することのない自存」に繋がる。一方、私たちの体は自分一人の力で生存することは不可能なことに気が付かされ、「自然万物は支え合って生きている」。そして誰もの本質が歓びに満ち溢れた尊い存在であり、あるがままで満たされているー「知足」を学ぶ。

動画 日本のさまらさ・動画クラスの映像に台湾華語の字幕が付いた。

資料 師の聖句を台湾華語にて朗読いただく

サラニー


「ヨーガ・サンガム」「新緑を愛でる会」のご報告

空は雲一つなく、爽やかな風が青々と茂る新緑を揺らしている——
5月18日、師シュリー・マハーヨーギーの御入滅 1周年法要が京都アスニーの和室にて執り行なわれました。
午後からは、同じ会場で第2回「ヨーガ・サンガム」が開催され、師のヨギさんがアーサナをされるお姿が記録されている貴重な映像『In The Cave With The Master』のダイジェスト版が上映されました。

グル(師匠)と弟子の真剣なやり取りから気迫が伝わり、ヨギさんのこの世のものとは思えない美しい身のこなしとお言葉のスケールの大きさに感嘆しました。
最近クラスに参加し始めた方の参加もあり、32名の仲間と共に行なうアーサナは熱気に包まれ、志を同じくする者たちが集まることで生まれる迫力を肌で感じました。


パシチモーッターナ・アーサナ(前屈)の時に、指導者が手の位置を変えるようにアドバイスをくださり、そのようにすると体はきつくなりましたが、お腹の感覚がハッキリして自ずと呼吸が深くなりました。心身はほぼ無意識に楽な方に進んでしまいますが、本当は逃げずにベストを尽くした方が身軽なのだと、アーサナを通してヨギさんが教えてくださったように感じました。
私は6年前この会場で初めてヨギさんに出会いました。ヨギさんが教えてくださるアーサナに「これは本物のヨーガだ!」と体感し、真実に出会えた歓びで胸が熱くなりました。そして状況が変化しても、ヨギさんが残してくださったかけがえのない真のヨーガを、サンガ(仲間)と共に学んでいけることに感謝でいっぱいです。

翌日はプレーマ・アーシュラマで「新緑を愛でる会」が開催され、25名程が集いました。アトリエには、お仕事中のヨギさんのご様子が伝わってくるお写真や『マハーヨーギーの真理のことば』の原稿などが展示され、ヨギさんがよく座っておられた椅子の位置からは、新緑が小雨に濡れながらもみずみずしく葉を広げる美しい景色が目に映りました。


会は祭壇の前で円になり和やかな雰囲気の中、ヨギさんにまつわる懐かしいお話を、笑いを交えながら語り合いました。ヨギさんと直接お会いする機会があまりなかったあるグルバイが、ヨギさんを知ろうと渇望するかのように熱心に話に聞き入る姿がありました。ヨギさんは、ヨギさんのお姿にたくさん接した人の中にも、そうでない人の中にも、同じようにおられるのだと改めて気づかされ、ヨギさんの無私の愛と導きの偉大さに胸を打たれました。ヨギさんを思う時間は本当に愛おしくて、あっという間に時が過ぎてしまいました。
そして最後はキールタンを全員で大合唱しました。ヨギさんは、あの手この手を使って私たちに神の愛を体験させてくださいました。私たちが神への信仰を持つことができるのは、ヨギさんのおかげです。これからも弟子たちを通して、ヨギさんの真実の愛がこの世界で美しく輝き続ける、そう感じさせられた2日間でした。

船勢洋子


師の導き

小さな存在

もうすぐ師が御入滅されて一年です。この5月の大型連休から心が落ち着かず、やっぱりドキドキしていました。私は20年前の5月18日に師と初めてお会いしました。クラスに参加したのは3回ほどで、まだ一か月も経っていない頃でした。初めてマハーヨーギー・アーシュラマの階段を上り、二階の間で師にお会いした時、師は白いクルタをお召しになっていて、白いムートンの上に座っておられました。そして、ものすごく優しい微笑みで迎えてくださいました。その印象が今でも深く心に刻まれています。

私は子供の頃たまたま幼稚園がキリスト教で聖書のお話によく触れていたのでイエスさまにお祈りするのが普通になっていました。大人になり特には無宗教でしたが、子供の時からのお祈りは自然に続けていました。師にお会いした時、私のすべてをいつも話してきたイエスさまという存在は、師だったんだと感じ、本当に安心しました。これまでのいろんなことが、全部この瞬間のためだったと思いました。

師は弟子の人生を寸分違わず導かれているとお聞きしたことがあります。今になっていろいろと気付きます。ひょんなことから数日前、毎週水曜日の朝の長岡京町家クラスに、実家の父親が朝、車で送ってくれました。父が車で送迎してくれることは滅多にないことなのですが、事情があり母からの希望でそうなったのでした。有難くも送ってもらえることになり、車で長岡京へと父の運転で向かいました。ふと、そういえば長岡京にあったはずの幼稚園のことを思い出しました。大人になってから長岡京に行った際、幼稚園を何度か探しましたが場所が分からなくて、もう無くなったのかもしれないなと思っていました。

私「幼稚園の場所って覚えてる?確か長岡京駅の近くにあったけどまだあるかな?行ってみたいんやけど」。
住宅街に差し掛かった道中でそう話していると、なんとその幼稚園バスが私たちの車の前に現れました。幼稚園バスがスーッとお家の前で止まり、かつての私のような幼稚園児をバスに乗せ、そのお母さんが子供を見送っていました。
私「すごいな!偶然やな!幼稚園の帽子も変わってないな~」
父と話しながらドライブは続きます。

父曰く、幼稚園の位置は私が思い込んでいる場所とは違うということで、そちらへ車を走らせました。ナビに頼るのもなんだか面白くないので、勘を頼りに進みます。
父「あれ?!ないなぁ~移転したんかもしれんなぁ」
父が思っていた場所にもなく、歩いていた人に聞いてみても分からず(素直にナビを頼ればいいのですが(笑))細い路地の住宅街に迷い込み、もう時間的にもタイムリミットなので「もう無いのかもな~」と諦めました。「よし!ナビにたのも!」と父は切り替え(笑)ナビに導いていただき進みました。すると、タイミングよくさっきの幼稚園バスがまた現れて園の門に到着です。「おお~!ここやん!」。幼稚園にやっと辿り着きました。四十年以上ぶりに再訪した幼稚園は昔の園舎のままのところもあり、とっても可愛いらしい場所でした。幼稚園の一角にある墓地が目に入ってきた時、ある記憶が蘇りました。
幼稚園の中からその墓地が見える部屋があり、私はお友達と二人でよくその窓からお墓を見ながらイエスさまのことをひそひそ声で話していました。墓地が見えるその窓の前がなんとなく不思議な感じで好きだったので、その場面を大人になっても思い出すことがありました。だからその墓地が見えた時に、あ!となぜか師とのいろいろなことが繋がって、幼稚園のあの窓が始まりの発心に繋がっていたような気持ちになりました。

また、その窓の近くには大好きな園長さん(牧師さん)の部屋がありました。園長さんはサンタクロースのおじいさんみたいなあたたかい雰囲気で、戦争で片腕をなくされていましたが、もう片方の腕によく私たちはまとわりついていました。園長さんが教えてくれたイエスさまのことを思い出し、あぁここは私の神さまへの思いを芽生えさせてくれた大切な場所だ、師がずっと本当に導いてきてくださっていたんだと、あたたかい歓びが込み上げ感謝しました。
父と、この5月に、そこへ導かれるように来れたのは師からの導きだと感じました。何度探してもそれまで見つけられなかったその幼稚園は、私の記憶上の地図とは別の場所にあり、毎週通ってきた長岡京クラスのごく近くの場所にありました。何かと縁深いこの地で、クラスを手伝わせていただけることにまた感謝がこみ上げました。

その日には台湾からのヨーガの仲間がクラスに参加され、また他にも久しぶりに参加された方もいらっしゃいました。そして滅多に送迎してくれない(笑)父の車で運んだものは、私の母からのヨーガへの感謝の気持ちが込められたお花でした。

母は長岡京クラスに通っていたことがあり、ふとお花を届けてほしいとそんな思いになったということでした。いろんな偶然のような出来事が毎日毎日、師の手の中で起こっていることを感じるばかりです。師のお導きに感謝します。

ナリニー


「瞑想入門 ブッダ(真理)をさがせ」(京都・大阪)

少し先ですが、7月〜京都・大阪で「瞑想入門 ブッダ(真理)をさがせ」をスタートします‼️

このイラストのように、世界は十人十色でさまざまな人の思いや行為が交錯しています。
そんな混沌としている世の中で、本当に大切なもの「真理」とは何でしょうか👀?

2500年前、ブッダは瞑想によって心を静め、真理を悟りましたーー

瞑想入門では、ブッダの生涯やハートに触れながら、ブッダの悟った真理を学んでいきます。
そして、真理を心の思いに照らし合わせて煩悩を取り除く「識別瞑想」をしていきます。
昨今、さまざまな瞑想がありますが、この識別瞑想こそブッダが説いたニルヴァーナ(涅槃)に至る方法であり、欲望やエゴが渦巻く世界で本当に大切なものを見失わない知恵・力になります。

全8回で、1回のご参加や途中からのご参加もしていただけます。
初心者の方でも無理なく実践できるプログラムとなっていますので、一緒にブッダ(真理)をさがし、瞑想していきましょう!
詳細はこちらをご覧ください💁‍♂️「瞑想入門 ブッダ(真理)をさがせ」

ゴーパーラ


瞑想専科「真理のことばに瞑想する」一年半コース

去年の6月からスタートした瞑想専科「真理のことばに瞑想する」一年半コースですが、もうすぐ一年が経過しようとしています。毎月『マハーヨーギーの真理のことば』の中の一つの章を取り上げて、実践した成果を発表し、互いに学び合っています。
今月は【第九章――大宇宙と小宇宙の神秘】について取り組みました。

クラスの中では、毎回2人の方に体験談を話していただき、クラス担当者からのレクチャーがあって、最後に30分ほど瞑想を行います。

廉くん
研究者である島本廉さんは、二十四の原理についての興味深い実践談を話してくれました。

OM
映像の仕事をしているNさんは、画面共有しながらオームのマントラの本質を直観的に捉えたお話をしてくれました。

マードゥリー、ヨーガダンダ
担当のマードゥリー、ヨーガダンダのどちらかがレクチャーを行います。今回はヨーガダンダが、タントラ全般についてのお話をしました。

瞑想専科
瞑想の後は質疑応答の時間です。
みんなの話を聞いて師のサットサンガの時と同じように自然と瞑想状態になったという感想も聞かれ、師の恩寵によってクラスが運ばれているのを感じました。
動画受講も含めると約60名の方が参加しています。

ちょうど一年ほど前、この瞑想専科が始まる直前に師は御入滅されました。重い心を引きずるようにしてクラスを始動させたのですが、私たちにとって希望の光となる師の教えをご紹介させていただきます。

グル(師)と弟子の関係は、肉体的な近さを意味してはいません。それはハートの問題です。ですから、たとえ地球の裏側にいても、その関係は強く結ばれています。それをもっと納得してもらうために、彼の偉大なブッダの最後の言葉を紹介しましょう。「私の弟子とは、この体の近くにいる者ではなく、私の教えを生きる者が本当の弟子である」。もちろんブッダの教え、真理の教えは、時間と空間を超えています。彼の教えに生きるならば、この二十一世紀に生きる私たちでも彼の直接の弟子になることができます。真理と真理の教えというのは、時間と空間を超えています。ですから、たとえ遠く離れていても、グルと弟子の関係は可能です。

時空を超えて誰もが師の弟子になれるように、そして真理を実現できるように、師は『マハーヨーギーの真理のことば』を残して逝かれました。
瞑想専科を通じて『マハーヨーギーの真理のことば』と向き合っていく中で、改めてこの本には、あらゆるヨーガの道から日常で直面する問題の解決法に到るまでの全てが網羅されており、内にも外にもあらゆる理を知り尽くした師が、限りなく多くの人に手を差し伸べられているのを感じます。
私たちがやるべきことは、どの教えからでも、どの入り口からでもいいから、生涯かけて真理に到達するということです。
その時、師が教えられるように、本当の弟子になれるのと同時に、本当の交流ができるのでしょう――師だけでなく、ブッダや過去の聖者たち、そして日常で関わる全ての人や生き物に対しても。
『マハーヨーギーの真理のことば』の後半は、ヨーガの核心に触れるような濃密な教えで溢れています。
理想に一歩でも近づけるように、最後までしっかりと取り組んでいきたいと思います。

ヨーガダンダ yogadanda

 


新規開講!東京・国分寺クラスのご紹介

4月から東京・国分寺で新しいクラスが始まりました。

3月までは、私の鍼灸院に来院されている患者さんを対象に開催していました。
2011年に鍼灸院内で少人数のクラスを始めて、その後参加希望者が増えたため、2015年から現在のスタジオに会場を移しました。

お仕事、子育て、介護など、日常生活を忙しく過ごされている中で、30~80代の方が定期的に通ってくださっています。
還暦を過ぎてから始めた方もおられますが、少しずついろいろな形ができるようになり、最近ではシールシャ・アーサナの練習をする方も増えてきました。

スタジオからは大きな桜の木が見えます

2016年からクラスに通われているお2人の方に、クラスの感想を伺ってみました。

・最初は体が硬過ぎ辛い形が多かったけれど、シャヴァ・アーサナをすると全身を気が通り抜けたように感じてびっくりしたことがあります。今もきつい形はあるけれど、後でとてもスッキリして、それがとても気持ち良いです。

・自宅でも出来る限りアーサナをやるようにしているけれど、クラスでやるとしっかり集中できるのがいいと思います。

ヨーガのアーサナ(ポーズ)は年齢を問わず誰でも行なうことができること、柔軟性とアーサナによる効果は関係ないことを、皆さんが証明してくださっているように感じます。

アーサナをした後はシャヴァ・アーサナでリラックス

 

クラスでは10数種類のアーサナを、1人1人の身体の状態に合わせて行います。
アーサナを行うことで、自己治癒力が高まり、身体は生命力に満ち、呼吸は深く安定したリズムへと変化します。
それにより心は落ち着いた穏やかな状態へと導かれ、瞑想に座りやすくなります。
瞑想は、心を対象に集中させることから始めます。その対象と1つになるように集中を深めていきます。
そうすることで、誰もの中にある本当の自分、真実が輝き出すとされています。

興味のある方は、お気軽にご参加くださいね。

クラスの後、桜の前で撮影。お2人とも素敵な笑顔!


クラスの詳細はこちら↓
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ハルシャニー  

 


ヨーガの1日 ~春分の日🌸~

春の嵐がやってきた2024年3月20日、春分の日のこと。京都の一角に佇む150年以上前に建てられた趣のある京町家でたくさんの人が「ヨーガの1日」を過ごした。そこは、聖者の庵、マハーヨーギー・アーシュラマと呼ばれている。

春分の日、当日のアーシュラマ

 

75年前の11月23日に、可愛らしい男の子が誕生し、天真爛漫にすくすくと育ち、8歳の頃に真我を悟られた。人々のために真実を生き続けられ、誰もが分かるやさしい言葉でそれを伝えられた。周りの人は彼のことを敬愛を込めて「ヨギさん」と呼んだ。

時は経ち、ヨギさんは、お姿を隠された。弟子たちは、ヨギさんの息吹いっぱいのこの大切な場所で、自分たちがヨギさんにそうしてきてもらったように、他の人にもヨーガの素晴らしさを感じてほしいなと思った。ヨギさんの優しさが溢れるこの場所に、自分たちだけじゃなくて、他のみんなと一緒に集い歓びを分かち合いたいと思った。ヨギさんだったらきっとそうすることを喜んでくださるよね、と。

ヨギさんは、お姿を隠されたけれど、たくさんの道しるべとなる教えの言葉を置いていってくださった。『マハーヨーギーの真理のことば』の本の中にも輝くその真実ーーヨギさんから教わったアーサナ、瞑想、さまらさ、キールタン、真理の言葉、それらをもっといろんな人に体験してもらおう〜!そんな思いからの特別な日が「ヨーガの1日」だった。

その日、一階では真理の教えに触れるワークショップしおり作りが、二階ではクラス体験が行なわれた。楚々としたアーシュラマの空間に、一人、二人、三人・・・と人が増えるごとに、静かな歓びの輪が波紋のように、じわじわと空間とハートに広がっていった。

時折、外には雪が舞い、極寒となった京都だったけれど、アーシュラマの室内は凛とした空気と人々の活気と歓びで瑞々しい気配に満ちていた。ガタガタと強い風の音が聞こえてきたり、伝統的な京町家だから隙間風も入ってくる。ヨギさんは、寒い季節もいつもここで簡素な格好で、来る人々を柔和な笑顔であたたかく迎い入れてくださっていた。

集った人たちは玄関で受付を済ませると順番に、自然と譲り合いながら、ゆっくりアーシュラマの趣ある階段を上っていく。

さぁ「ヨーガの1日」の始まり!朝は、アーサナクラスから始まった。

マハーヨーギー・アーシュラマでのアーサナ体験クラス

それぞれが集中し、真剣に取り組む。

マハーヨーギー・アーシュラマでのアーサナ体験クラス

 

続いて瞑想クラス。深く瞑想に入れたという声もあった。

マハーヨーギー・アーシュラマでの瞑想体験クラスマハーヨーギー・アーシュラマでの瞑想体験クラス

 

お昼には、さまらさの台所。

さまらさのお弁当と桜の花のワカメのおすまし

さまらさのお弁当と桜の花びらがふんわりと浮かぶおすまし。

マハーヨーギー・アーシュラマでのさまらさの体験クラス

 

午後からはキールタンクラス。一階にもみんなの朗らかな歌が響いていた。

マハーヨーギー・アーシュラマでのキールタン体験クラスキールタンを歌う二人

* * *

二階に参加者が上がってくると、心地良い緊張感の中にも、わぁ・・・と何かが綻ぶような笑顔があった。寒い中、春に向けて新芽が顔を出すかのようなそんな爽やかな表情。
二階の間には、簡素で優美な空間が広がり、真正面の窓からは裏庭の真っ白な木蓮と濃いピンクの桃の花が絵画のように美しく見えている。階段の上の壁には、まもなく咲きそうな一輪の木蓮がそっと上品に生けられ、重厚な存在感を放つ黒光りした祭壇には、偉大なるヨーガ行者のお姿のババジ像が見守ってくださっている。サットサンガ(真理の集い)が行なわれていた時と同じように蝋燭が灯され芳しいお香が漂う。お部屋には、ヨギさんが手掛けられたサハスラーラ・チャクラの旗と、息を呑む麗しさの白ターラーの絵画が飾られていた。

どの体験クラスも10名以上の満員御礼!参加者の真剣な熱によってヨーガ体験が進められていった。クラスを終えた人は、また階段を下りてくる。上がっていく時とは何かが違う。さらに清々しくなった笑顔で「場の空気がすごかった・・・」という感嘆の声も聞こえてきた。これは、きっと実際に体感した人にしか分からないこと、何か言葉では言い表せないものを感じられたのだろう・・・。

一輪の木蓮

初めてアーシュラマの玄関の戸を開け、ちょっと緊張しながら一歩中に入り、そして奥の階段をゆっくりと上がる。その初めての瞬間は誰もにとって一度だけ。今回参加される人にとっての、その大切な時。朝から夕方までずーっとヨギさんが、来る人、来る人を柔らかいあの笑顔で、もてなしてくださっているようだった。なぜなら、こんなふうに初めてアーシュラマを訪れるみんなが安心して集えるのは、ヨギさんの息吹に包まれているからで、ここはヨギさんが最初にヨーガを人々に伝えてくださった原点の場所、そして覚醒された場所、毎日、朝起きて、夜お休みになった場所、どこをどう切り取ってもヨギさんの呼吸、眼差し、手のひらの中だったから。これからヨーガに出会う人たちの、この日のためにヨギさんがすべてを整えて万全に準備してくださっていたのかもしれない・・・
1日は、あっという間に突風のように過ぎ去り、参加者たちは楽しそうに真理の言葉を葉っぱ形のしおりに書き留めて、胸に持ち帰った。

しおり作り

いつもヨギさんにお会いすると、自分の求めているものや答えを頂く。知らないうちに真理の言葉を胸に持ち帰っていた。今、ヨギさんが直接お言葉を発せられなくても、これからも同じようにそれを受け取ることができる。聖者の口から溢れた真実の言葉は永遠だから。生命の根源である一つの真実が、いろんなヨーガの体験を通して、みんなに届けられた日、参加者だけではなく関わったすべての人が、それぞれのヨーガの1日を過ごした。

階段の上を見ると、朝は、まだつぼみに近かった木蓮が、嬉しそうに花開いていた。これから、たくさんのさまざまな花が開いていく。
ヨギさんの真理の言葉が、これからもどんどん広がっていきますように。

 

当日の夜に流れたMYM Instagramストーリーズより。

ナリニー


New!! ヨーガ・瞑想クラス【45分/京都・大阪】

3/26(火)〜5/28(火)までの期間、京都・大阪で新クラスが開講します。

New!! ヨーガ・瞑想クラス【45分/京都・大阪】
↑ 詳しい内容はこちらからご確認ください。

まだまだ寒い日が続きますが、日差しの中に春の輝きを感じる今日この頃、春を迎える清々しい気持ちと、コロナ禍も明けて始動開始!そろそろ新しいことに挑戦するよい時候ではないでしょうか!?

そんなとき、瞑想を始めてみるのはいかがでしょうか?瞑想と聞くと良いイメージがある方が多いと思いますが、実際にはどう良いの?何をしているの?方法は?など意外と分からないことも多いと思います。このクラスでは、そんな疑問点にもお答えしながら、まずは静かに座るということに慣れていただきたいと思っています。またアーサナ(ヨーガのポーズ)をすることで呼吸が落ち着き、瞑想がしやすくなるということも実感していただけるでしょう。瞑想することによって日常で良い変化を感じていただけると思います。

45分という短いクラスとなりますので、ヨーガや瞑想を一度体験してみたい方、忙しいけれど少しの時間でも瞑想する時間を持ちたい方、もちろんすでにヨーガのクラスに通っているけれど、改めて瞑想に取り組みたい方も大歓迎です!気軽な気持ちで来ていただけると嬉しいです。
お得な4回カードもありますので、この期間に瞑想の習慣を身に付けませんか!

サティヤー


【長岡京クラスより】ヨーガと瞑想 朝のワークショップ開催!

神足ふれあい町家

神足ふれあい町家

まだまだ寒い日も続きますが、今日は節分。明日には立春を迎えると思うと、季節は着実に巡り春に向かっていることを感じます。
長岡京の朝クラスを行なっている神足ふれあい町家は、毎年この時期から1カ月、ひな祭りの展示イベントが行なわれるため、会場をJR長岡京駅に隣接したバンビオへ変更しています。

今年はその期間の中で、2月21日(水)と28日(水)の2日間を「ヨーガと瞑想の朝のワークショップ」と題し、いつものクラスとは少し違った内容で開催します。ヨーガ・アーサナ(ポーズ)のデモンストレーションや瞑想について学べる講座を行なったり、体験談なども交えて、楽しくご参加いただけたらと思っています。

毎週行なっているクラスは、ご近所にお住まいの方が多く参加されています。一年間、ほぼ皆勤賞?!というくらい熱心な方もおられたり、最近は瞑想に関心が出てこられた方も多く、30分近く瞑想しても微動だにせず、「もう少し座っていたかった〜」とおっしゃる方もあったりします。アーサナを続けていくことで、自然と瞑想へと誘われるということを、私自身も実感させていただいています。

神足ふれあい町家

そんなこともあり、この機会に瞑想のことをもう一度基本からお伝えし、さらにヨーガに親しんでいただけたら・・・とワークショップを企画しました。
初めての方もぜひぜひご参加ください。

呼吸を調え、心の静けさを体験してみませんか?

●日時:2024年2月21日・28日 (水)10:30〜12:00
●会場:長岡京市中央生涯学習センター(バンビオ)
21日:3F リハーサルスタジオ1 28日:4F 交流室1
●受講料:2日間 4,400円
*1日のみの参加も可 2,200円

お申し込みはこちらから

長岡京 ヨーガと瞑想のワークショップ

マードゥリー


弟子たちのサットサンガに参加して

1月14日(日)に弟子たちのサットサンガがありました。近隣のグルバイの方々だけでなく、東京や松山などにお住まいのグルバイの方々にもお会いすることができました。40名ほどが集まり、会場は喜びいっぱいの雰囲気に包まれていました。

そして、大きなスクリーンで2016年11月6日(土)に行なわれた特別サットサンガの映像を見ました。実はそのサットサンガで、私は初めてヨギさんにお会いしました。当時、心と体をもっと強くしたいとヨーガを習い始め、真理や師という言葉に触れたこともなく、全く何も知らないまま参加しました。けれどもサットサンガが始まる時間になり、ヨギさんがアーシュラマの階段を1段ずつ上ってこられた時、私の心の中が今まで経験したことがない温かく柔らかいものに包まれ、今まで見ていた景色が変わり、それが次の日まで続いていたことを覚えています。サットサンガでは何を質問していいのかも分からず、ただその場にいるだけだったのですが、純粋で本質そのものであるエネルギーに満ち溢れたヨギさんの存在が、私に忘れられない体験をもたらしてくださいました。

 7年以上の月日が経ち、同じサットサンガの映像を見た今、私は、あの時と全く同じように、ヨギさんのお姿に、ヨギさんから語られた力強く確信に満ち溢れた言葉に感動し、がんばっていこうと鼓舞されています。

 「真実は自分自身の中にある! はっきり言います!」
 「ここに生まれてきた本当の意味があります」

 間違いないと確信をもって言い切られるヨギさんのお姿に、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ(ナレーンドラナート)と師であるシュリー・ラーマクリシュナとのエピソードを思い出しました。

***

ナレーンドラナートは師に近付いて、以前から他の指導者に投げかけてきた質問をした。「師よ、あなたは神をご覧になったことがありますか?」 
「あるよ」とシュリー・ラーマクリシュナはお答えになった。「私は、ここでおまえを見ているのとまったく同じように、神を見るのだ。ただし、見え方はずっと強烈だがね。神は実感することができる。人は、私がおまえにしているように、神を見て話しかけることができるのだ。しかし、誰がそんなことをしたいと思うかね? 人々は、自分たちの妻や子供、あるいは富や財産のためには、土砂降りの雨のように涙を流すが、誰が神のためにそんなことをするだろうか? 人が神のために心から涙を流したら、神は間違いなく御姿を現されるよ」
この衝撃的な返事はナレンドラナートの心を瞬時にとらえた。生まれて初めて、彼は神を見たと言える人を見つけ、宗教は実感できる現実であることを悟ったのである。話を聞いているうちに、彼は、シュリー・ラーマクリシュナがその深い悟りの中から話していると、信じないではいられなくなった。
                         『真実の愛と勇気』より引用

***

時間や空間を超え、常に弟子たちを鼓舞し続けてくださるヨギさんに、感謝の気持ちでいっぱいです。真理の教えは変わることなく、師の存在もまた変わらずにいてくださる。そしてこれからも常に私たちをいろいろなかたちで鼓舞し続けてくださいます。これからもヨギさんの弟子であり続けたい。ヨーガの道を邁進していきます!

桜井晃己桜井みき

 


その日の午前中には、京阪神合同のヨーガ・瞑想クラスを開催。遠方の方も含めて20名が参加してくださいました。今回はリードなしの、それぞれが黙々とサーダナを行なうというスタイル。お互いの熱を高め合いながら、気迫に満ちた集中感の高いクラスとなりました。

MYM京都